じき|オーガニック葡萄の栽培とワイン醸造

2021/10/05 21:20

醸造を学ぶということ。

ひいてはモノづくりを体得するということ。

それは、

机上では、それは本を読んで内容を理解し、事象やメカニズムを覚えること。
現場では、それを含めた体系的な知識と作業の流れを体に染み込ませるまで経験すること。
そして醸造「作業」を滞りなく進めるために作業を習得し、目標に向けて迅速、且つ的確に体を動かせるようにすること。




日本には俗に謂う「職人」と呼ばれる方々がいて、彼らは、徒弟制のもと親方に師事して自分の体に仕事を叩き込ませ、「モノを作る」という仕事に対して体が自然と対応できるレベルに昇華させていた。過去形にしたのは近年それが崩れてきている節が一部見受けられるから。それは「下積み」という絶対的に必要な期間が省かれてしまっていると個人的に感じるためである。
師事する親方により弟子の考えや流儀も変わり、似たモノを造るのでも様々な流派的なものは存在する。
そこにおいて様々な経験は必要だが、当人に染み込ませる基本の型は1人の親方の下でしか習得できない。
センスも必要だがそれより遥かに必要なことは体にその仕事の流れや考えを叩き込むことだと考えている。
型があるからこそ型通りにも、崩すことも可能であるのであって、型が身に付いていないのであれば単なる自己満足での仕事であると思う。

少し前に東京寿司アカデミーの卒業生がビブグルマンを開業1年以内に獲得したとニュースで話題になった。たった2か月で5年分の寿司職人としての技術を習得するという専門学校だ。獲得したのは卒業した一部の天才なのかもしれないが、個人的にはこのような短期間集中で技術習得した方々は「職人」というより「作業者」であり、職人としては作業はできてもモノづくりに対しての考えや姿勢について未熟だと考えている。やりたいことはあり、表現はするが出来ているのか、何故その道を辿ったのか説明ができるのか。

ある人はこれからワイン造りに参入する人は売り方が重要だと話していた。
確かに的を射ている意見ではあるが、自分はこのような考えにはならない、というかなりたいとは思わない。
魅力的で惹きつけられるワインを造るのは考えや姿勢がしっかり整った職人だと考えるからだ。
プロデュース力は販売ではモノをいうだろうが、中身の伴っていないものが永続的に造り続けられるのか自分にはわからない。
「本数が少ないから」「レアだから」「新しいから」等は確かに売れるのだろう。だが、真正面からそのワインが見られていない。第3者のいうことを鵜吞みにして頭で飲んでしまう。そのワインの評価を実のところしていないのだ。
正直なところ当てるとかではなく、そのワインを自分のフィルターだけを通して楽しむためにもワインはブラインドで飲んでもらいたいと思う気持ちもあるくらいだ。

ワイン造りは毎度毎度決まりきったことを決まったやり方でやればイレギュラーなことも起きず、さらには安パイな選択を辿れば、道を踏み外す確率も低いだろう。ただ、相手は自然であり外部条件は逐次変化する。そして新たな取り組みを行うにはやはり応用する力が必要であると考える。トラブルに対しても応用力が必要だ。
勉強でもそうだが、基礎の下地があってこそ応用力が身につく。下地がグズッていると上に建つものが安定しないのは明確である。

その点、自分はまだまだ修行が足りていない。
同世代でも凄いと思う人には着いていけていない。
今シーズンを除き、兎に角あと5年は少なくとも親方の下修行するのみである。


収穫まであとわずか。自分の今シーズンの技術習得にも力が入る。