じき|オーガニック葡萄の栽培とワイン醸造

2021/07/07 07:16

少々長めですが、最後まで目を通していただけると嬉しいです。


香りと味の観点だけで論じた場合、有機栽培や自然栽培、ビオディナミ(※以降、これらの栽培は便宜的に有機と書きます)の葡萄から造ったワインは慣行の葡萄から造ったワインと違うのか。
ナチュール好きという方であれば違うと言うかもしれません。
今のことろの自分の中での結論は、どの栽培方法であっても全く同じポテンシャルの葡萄が出来た場合、造りが同じであれば(選果のレベルなど合わせた場合)、出来上がるワインに大きな違いはないのでは?と感じています。
それは醸造に携わり始めてからより強く思うようにもなりました。
もし、違うという方がいれば、是非ブラインドで当ててみてほしいものです。
慣行で育てた葡萄を野生酵母、低亜硫酸orサンスフルで、丁寧に造ったものであればナチュールと区別して当てることは難しいのでは?と思います。
俗にいうナチュールっぽいワインを慣行の葡萄で醸造することも可能と考えます。
(有機の野菜や果物だと時間が経つにつれ、腐敗するのではなく、萎凋するというのはありますが…)


葡萄を作る、ワインを造る人間にとって原料となる葡萄に求めるものは色々あります。
1つは目の前にある葡萄に求める現実主義的なことだと思います。
ワインの香りや味は葡萄の育った環境(風、土、日、水)や収穫タイミング、収量等により形成される葡萄のポテンシャルによるところが大きいです(培養酵母や添加物を使うならこれだけではないのでしょうが)
そして人が手を加えること(栽培方法)によりそのポテンシャルが更に変化するイメージです。
それら自然、人、その人を形成する文化等を包含しての表現としてテロワールなんて言葉が使われたりします(簡単にテロワールなんて言葉使ってほしくありませんが…)

そこで自分が思うのは、葡萄ポテンシャルを司るものは有機・慣行等、栽培方法の違いではなく如何に1本1本の樹を観察し、ある意味での慈愛を込めて葡萄と向き合い、面倒をみるかということです。
これは有機だろうが、慣行だろうが1本1本に手間をかければ結果としては同じようなポテンシャルを持った葡萄が出来るということです。

ただ、やはり慣行となると1本1本にかける時間を増やし質を上げるというより、如何に質を落とさず量を確保するかというところに力点が置かれるのも事実です。
慣行栽培に愛情が無い訳ではないのは分かります。ただ、目指すところが「収量」という着地点である以上、1本の樹にかける時間に差が出るのは必然です。
一方比較すると、有機は狭い面積でも質を高める栽培がおこなわれていることが多いのだと思います。

ここでの「良い」葡萄とは、造りたいスタイルがどのようなものかで意味合いが分かれるところですが、成分の分析値での極端な偏りがなく、病果ではないといった健全な葡萄(選果というプロセスを通して)という意味です。
ただ、慣行であっても1本1本の樹に気を配り丁寧に栽培している圃場があることも事実です。これであれば葡萄の質は申し分ないと思います。
じきの畑ではやりませんが、ポテンシャルを求める上で葡萄が心地よい環境で育生するために農薬を使うというのであれば、その選択はアリなのかなとは思います。
(※別の記事で畑環境が発酵において重要なポイントになり得ると記載しましたが、そういう意味では残留農薬が無く、野生酵母付着量や過剰なN2の無い有機栽培で管理した方が野生酵母には有り難い環境が出来上がるメリットはあると思います)




では、じきの畑が何故有機を選択しているのか。
そう。2つ目は葡萄栽培を行う上での哲学です。
そこには葡萄ポテンシャル以上に大事にしていることを農業で体現したいという想いがあるからです。
有機を実践し、認証を全圃場で取得しているのは、オーガニック(有機)というものが「じきの畑」の生活スタイル(生き方)だからです。

極端な言い方ですが、じきの畑の考えだと
葡萄ポテンシャル<栽培での哲学
に近い感じがします。

(※農業は人の手を加えて初めて成り立つもので、有機や自然栽培は自然に放置するような農業とは全くの別物です)

何故なら、結果として、そのワインを飲んだ飲み手に本当の意味での私たちが葡萄や畑、自然に向き合う姿勢や気持ちが伝わらないような気がするからです。
ワインをはじめ、人間はその食べ物が出来てきた経緯、バックボーン、ストーリーを知ると味覚・嗅覚が変わると考えています。人は頭でモノを食べる生き物なんだと思う事も多いです。
だからこそ自分の行ってきた栽培、醸造過程を言葉にしたとき、上辺だけの「有機」、購買意欲喚起のための「有機」、マーケティングのための「有機」では嘘をついているような気持ちになるのです。


じきの畑で農業を始めたのは美味しいだけのワインを造るためではありません。
自然との共生、この大地を未来へ繋げる生きる術とは何かを考えた時に出てきた選択が農業だったのです。
そして経済的な豊かさではなく、心の豊かさを求めたい。その時に原体験としての果樹のある生活の豊かさを知っていた私は葡萄栽培からワイン醸造へ興味を持ったという次第です。
当然今は以前より遥かにワインという飲み物が好きになり、更に深く興味を持ち、知りたい・飲みたい欲がものすごく強いです。

海外に目を向けると本当に多くのワインメーカーが有機栽培に着手しているのが分かりますが、完全に2分化されています。
特にEUの企業などは食品メーカー以外でもCSRとして、表向きの立場でオーガニックに取り組み始めるところが多いです。
ワインについていうと、ボルドーやブルゴーニュ、ニューワールドの有名な生産者や大きな造り手はある意味で企業としての運営を行っているんだなと思います。
企業運営、会社を回すための一手段としてのオーガニックです。
悪いことではありませんし、結果として環境負荷の低い農業、生活活動に繋がるのであれば非常に歓迎されるべきことだと思います。
ただ、やっていることは同じようなことでも小規模であるならば、やはり自分の哲学をしっかり持って取り組むべきと考えます。
そしてその意識の違いは作り上げられるワインの違いにも繋がる気がしています。
やはり経済面を重視するような造り手のワインよりジュラやロワールで有機で行っている小規模な生産者のワインの方が好きです。
当然頭で飲んでいる影響は大きくあります。
ただ自分の中では事前情報無しに飲んでみて美味しいワインが、調べてみたら有機だったってのが目指すところでもあります。

葡萄を有機栽培すると聞いたこと、見たこともないような壁にぶつかることも多いです。
周りに聞いても解決方法を知る人なんかいない。
問題にぶつかって、一つずつ解決して前に進む。解決出来れば自分に蓄えられる知識・技術が格段に上がる。
人づてで聞いた農薬防除は言うなれば板書をしているだけで解法を理解した気になって、いざテストになったら何も解けないことに気づくパターンに近いと思います。本や講座なんかじゃ基本は得られても自分の圃場での実践では当然それだけではないです。
しっかり研修は受けたうえで、自分で解決する力が必要なんだと強く思います。
自ら進んで得た多くの知見は、時間や収量を削って得られた大事な糧なのです。