2021/02/19 16:19



2021年。私たち家族が余市町へ来て6年が過ぎました。
人間の身体は約6年周期で全ての細胞が入れ替わると言われています(年齢によりスパンは異なりますが)
こちらに来てからの食生活は都会で暮らしていたときとは比べ物にならないほど私たちにとって充実したものとなりました。
地域で育てている平飼い鶏や山で捕らえた鹿、釣ってきた渓魚、時季ごとの山菜・茸、食べる為に飼養している羊、
畑で育てた野菜・果物…地域で得られた食材を「じきの畑」で造ったワインとともに頂きます。
天地の恵みを強烈に享受している感覚を得られます。純粋に身体が休まり、沁み込む美味しさがあります。
そう、あらゆる食に絡むことの始まりから終わりまでがこの地域内で完結するのです。
6年前からこのスタイルで生活をしてきたということは私の身体は北海道仕様、いや、北後志仕様とでもいうべきかと思います。
ちょっと変わった考えかもしれませんが、本当の意味でようやくこの土地の人間になれたような気がするのです。
その昔、中学校で質量保存の法則を習い、あらゆる物質は化学反応の前後で総質量が変わらないと学びました。
であれば、あらゆる原子はこの星の中で循環し、巡り巡るっているのでは?という考えがその時に湧いてきたのです。
後に分かったことですが、このことは質量保存の法則ではなく、量子力学の観点から考察すると強ち間違った考えではなかったようです。
つまり、今私や貴方の身体を構成している原子は地球創世の時からあらゆるものに姿を変え、巡り巡って私達を作り出しているということになります。
もしかしたら今タイピングをしているこの指を構成している原子は北京原人の足を構成していた原子だったかもしれませんし、今画面を見ている眼球を構成している原子はジュラ紀のシダ植物を構成していた原子かもしれません。
そう考えると、あらゆるものに自分がなる可能性がありますし、また、あらゆるものが自らを構成する可能性だってあるように思えてきたのです。
人類みな兄弟、いや、地球上に存在する(存在していた)ものすべてが繋がっているのだと思ったのです。
そんなことを考えていると、今、世界で起こっている人種差別や紛争は思想や宗教観など多数の要因の上に出てきている問題ではありますが、何を争う必要があるのか?と思ってしまう自分がいます。

少し話が逸れました。
そこで改めて思ったのが生きるという営みは、その地域内での物質の循環なのでは?ということです。
その地域で生きるということは、その地域で循環している原子が自らを構成する1パーツになるというのが大昔から続いてきたことではないのでしょうか?
世界中が繋がり、良くも悪くも物質が行きかうようになったのはここ数100年くらいです。
需要に応じ、世界中の食物を取り寄せ、供給することが良くないとは全く思いません。
ただ、自分を構成する皮膚は南米産で髪の毛は北米産、腸はオーストラリア…と考えると広い意味で地球産と言えば何とでもなりますが、何となくしっくりこないのです。
その時に思ったのが身体を作り上げる根本、「食」について深く考え、行動したいという想いでした。
自らが地域を循環する物質の1つになり、生きてみたいと思ったのです。
その生活を実践できている現在、身体が無理なく自然と楽に生きていられている(生命活動をしている)とすら思えてしまいます。
田舎へ来てよかった。北海道へ来てよかった。余市へ来てよかった。
改めてそう思う日々です。

このような考えが私にはあります。
なので、もし「じき」のワインを手に取って美味しいな、身体に合うなと思ったら是非余市へ来て余市の地で余市のワインを飲んでみてください。
この地域の食材とともにワインを味わうことで更にワインの可能性を感じられることと思います。